暴走する資本主義 ロバート ライシェ

 著者は、「市民としての私たちは相対的に力が衰えている。超資本主義は意気揚々だが、民主的資本主義は元気がない。」と書く。勝ち組負け組と言う格差社会や地方、地域社会の弱体化など現在の日米共通の問題を上手く説明していく。
 懺悔の書の中谷氏は資本主義の暴走を英米の文化、社会に求めてしまった。自然と共生を考える多神教と自然と対立する一神教と言う宗教論にまで踏み込む。また、欧米では労働は苦役であり、エリートと現場労働者と乖離しているが、日本では労働は苦役ではなく労使ともに現場で協調するなどと論を展開し、日本的な社会の中に問題解決策を求める。
 しかし、著者ライシェは資本主義の暴走に文明論など展開しない。産業革命が世界を一変したように、現在はIT等の技術革新で投資家や消費者が圧倒的に有利になっている。一方、市民住民として、労働者としての個人は社会的な影響力が衰えている。
 一個人が、投資家や消費者の立場と市民住民、労働者の立場を持つ。そしてどちらの立場に立つか選択を迫られるが、市民住民、労働者として政治的な影響力を結集出来ない。むしろ企業が政治的な影響力を行使している。
 超資本主義の行き過ぎを糾し、民主的資本主義に活力をもたらすにはどうするか。企業を法人としてあたかも人格のある人間と同じように法的な権利を認めていることを止める。企業に法的な責任を問うことなく経営者などに法的な責任を求める。企業は単なる物的人的な組織に過ぎず法的な責任を負えるような人間ではない。企業のロビー活動も認めない。法人税も廃止し、株主の所得に課税する。など明確な処方箋を提示している。

暴走する資本主義

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